通っている保育園は京都大徳寺の塔頭(たっちゅう)である
玉林院にあります。もうかれこれ長女からお世話になり
9年です。
天気もよかったので、すこし辺りを歩きました。
辺りには大徳寺の塔頭が隣接していて、それぞれ掃き清められていて
あまりの綺麗さに目を見張ります。
凛としたたたずまいの鐘楼
朱のいろが木々の緑と相まってより鮮やかになる。
荘厳なる門
自分のなかに宿ってる、色や形は積み重なるように
記憶されていくのだろう、と思う。
なんや、今まで作ってなかったんか?と思われるけど、
そんなことはないのだけど、展覧会に向けて、という感覚としては、
ようやく滑り出した、ということだろうか。
いつもモチベーションの高い状態を維持できたら、それに超したことはないけど、
それは至難の技。高いところに気持ちを持っていくためには、準備体勢が必要だし、
スイッチをONにする切っ掛けがいる。
それは、何かを見ることだったり、誰かに会うことだったり、何かを読んだり聴いたり。
そういう切っ掛けで滑り出す。
後は方向を見誤らなく到達点に向けて走るわけである。
毎回、そんなことを繰返してるのだが、未だに納得できた試しがない。
。
直接先生に聞いた訳ではないが、大学の窯場にあったのと、
加守田章二の図録に年譜があり、そこに表記されてるから、
そうであろう、と思ってる。
もう早いもので、25年になる。
家業の産業としての「やきもの」とは違う、
美術工芸としての「やきもの」に初めて触れた。
それは岩渕先生や東憲先生がそれぞれひとりの陶芸家として形成された存在だったからだと思う。
今までの中学、高校の先生とは全く違うオーラを帯びてた。
おそらく、想うにその時点で僕のなかに種を蒔かれたのだろう。
ただその当時は、余りにも若く、
まったくどうしようもない鼻クソのようなもの、
今から思えば反省しきりである。
なんとなく課題をこなしてバイトに明け暮れた学生時代。
卒業式でさえ、ちゃんと先生に挨拶した記憶がない。
もしもタイムマシンがあれば、
その当時の自分に会って後ろ頭を
スリッパで「バチィ〜〜〜〜〜〜ィン」と
、思いっきり張り倒したい!。
せっかくのタイムマシンなのだから、
もっとロマンチックなことに使えばいいのだが、、、。
それでも、僕のなかの種が発芽したのか、
卒業後、自分の思いを形にして、作り出した。
卒業後、数年した頃、
京都市美術館だったと記憶してるが、
岩渕先生とバッタリ顔をあわせた。
「ごぶさたしております」と挨拶。
心臓が飛び出るかと思った。
その時の岩渕先生は、穏やかに、
「おう、元気にしてるか?」
僕は、「はぃ」。
「がんばってるみたいやな、またうちに遊びに来い」
ほんの数分の会話だったと思うけど、
美術館を出た時、胃がすごく痛かった、それほど緊張してた。
緊張感が去った後、
なにが嬉しかったって、「憶えてもらえてたんや」、「見ててもらえてたんや」って。
当時、片っ端から公募の展覧会に出してた、
通してもらったのもあったけど、落ちたのも多かった。
ただ時間もあったし、がむしゃらやったように思う
岩渕先生と再会し、遊びに来いと言われたけど
その後間もなく、先生は身体を悪くされて数多くの教え子を残して、世を去られてしまった。
先生の元に遊びに行くことは叶わなかったけど、
僕のなかに蒔かれた種は、たまに踏みつけられながらも、
まだ枯れずに少しずつ育っているように思う、
というか、いろいろな人に育ててもらっています。
もしも、、、
もしタイムマシンがあれば、
卒業式の日に、ちゃんと挨拶しなくては。
「ありがとうございました」って。
。
多くの大作の中で、ちいさな茶碗が相対するのは
茶陶展以外、今まで色々な公募展を見てきて、
なかなか難しいとは思います。
苦し紛れな感もありましたが、自分自身
そういう流れなのかな、と思い、中央突破を決め、
出品することにしました。
大家や茶陶筋じゃない、茶碗。
僕みたいな者が、どこまでやれるのだろう。
これは全然謙遜ではなく、僕の茶碗は、
「邪道」と思っています。焼成にしても、原料にしても。
それに引き換え、
「王道」を貫き、あらゆる思いに精進してる人がいます。
純白を纏うというのは、どういうことか、
桃山期、日本のやきものが、なにを目指したか。
僕の今回の茶碗をみてもわかるかと思いますが、「白」は部分的、ある意味、
時代劇調にいえば、「着流し」的な流行服なのかも知れません。
流行りは目に付くかもしれないけど、
その奥にあるものを感じてもらえたら、もっとうれしいのです。
「白を纏うやきもの」
日本の「やきもの」は奥が深いと思います。
僕と有本さんは、ある意味、対角線上にあると思います。
大きな円を描いて、対角線に線を引いたら、一番近いのは、相対する点なのです。
ある意味、宇宙戦艦ヤマトの「古代進とデスラー」みたいなものでしょうか(笑)。
どちらが、古代でどちらがデスラーかはさておき、
認め合える「好敵手」であることが物語を底上げできると信じています。
。
次の展覧会に向けて、少しずつ作り始めた、
でもまだ迷いの中にある。一つの展覧会が終わり、
次に行くまでに、すこしインターバルがあるときに、
こういう思いに陥ることがある。
「ものづくり」の人間として自己満足だけでは成立しない世界だと思う、
では何処へ向かって作るのか、
わかってはいるつもりだけど、
なかなか明察とはいかない時もある。
そんな時に学生のころ、
恩師である岩渕重哉先生の言葉をなんとなく思い出す。
「好きな娘のために作ったらええものできる」
僕に直接語ったものではなかったけど、何かの記事で読んだ。
学生相手に語ったものだったかもしれないその言葉は
ストレートに心の中に入ってきた。
それまで、すこし煙たくって近づきずらかった先生が身近に感じた言葉だった。
遠く思い出すだけとなってしまった
先生の声は今も力を与えてくれている。
僕の迷いに明察となるには「想い」を伝える強さをもつこともしれない。
。
読んでた本から目を外し、前をぼーっと見てたら、
ひとりの学生男子がやって来て、ちょっと前のテーブル席に座ってる学生女子と話し出した。
それを僕は、ぼーっと見てて、ふと思う。
そして、こころの中で彼に聞いてみる。
「君のそのスウェットはどうしてその位置で止まってられる?」
腰よりもはるか下、尻の頂上部分の九合目。
非常にビミョーな位置である、
不安定極まりない。
手を使わずにタバコやコインを浮かすマジックがあるが、あれは絶対トリックがあるはず、物が自由に浮遊するはずがない、見えにくいワイヤーか何かで仕掛けしてあるはずである。
と、いうことは、彼のスウェットは見えないワイヤーで肩から掛けてあるのだろうか、
ずり落ちそうな位置にあるゴムベルトを気にもしないで、彼女と話している。
それも立ったまま。
話し終えた彼は、彼女に軽く手をふり、振り向いて去って行った。
「歩いたらずり落ちるやん」と思う僕の心配をよそに、スタスタと歩き、、、
二人はごく自然に振る舞ってる。
そんな二人の姿を、ぼーっと見ながら、また本に目を戻す。
あぁ、今日は休息日。
。