2011年1月27日木曜日

酒の肴

ビールには、これ。
日本酒を呑むなら、これ。
ワインなら、やっぱりこれかな〜。
って、お酒をたしなむ時、
みんな、それぞれなにかと肴にするものがある。


僕はというと、外で飲むときは別として、一人で飲むときは、何も食さない。
ビールであろうが日本酒、ワイン、焼酎、でも。


しいて言えば、茶碗を肴にして飲むかな。 ぐい呑み、でもいい。
と、言っても茶碗やぐい呑みをかじりながら、ということではない。

とりあえず、手触りを楽しめるものがいい。
そう、ネタネタ触れるものがいいのである。
その触感を視覚で確かめ、眼で見て楽しみながら手触りで確認。
そんな行為を繰り返しながら、飲む。
もう、言葉づれから見ると、ほとんど変態である。


しかし、世の中、やきものオタクは数知れず、
僕の知る人で、日本人以上に日本人の心を持ったYさんは、
壺といっしょに風呂に入るし、某T百貨店のTさんは、
風呂に徳利とぐい呑みを持って入り、
呑むわけではなく、風呂の湯を徳利でぐい呑みに注ぎつづけるらしい。
そんでもって最後に、「徳利の背中を流す」って言うから、
もう訳わかりせん。


僕は作る方の人間ですから、僕の分身を
風呂にいっしょに入れてもらえたらうれしいし、
背中を流されたら、
陶工冥利に尽きる、ちゅうもんです。

しかし、↑どちらも男ですから、そのてんだけがちょっと引っかかるけど、、、


2011年1月25日火曜日

次へ

年末年始に地味に作り進めていた作品は、
焼くことは焼いたが、結局、失敗作となる。
ま、こういうことは常で、いちいち悔やんでる間もなく、
次の一手を打つために気持ちを切り替える。

先日の土曜日、名古屋松坂屋で酒器そばちょこ展の
出品作者による懇親会に行って来ました。
そう言えば、この展覧会「若手」と付いてたけど、
集まったみんなは、たしかに若かった。
初々しさが展覧会にもに表れてていい感じと思う。
企画した三彩のヤッさんの気概が伺える。


同年代では木村展之氏、樋口雅之氏、彼等とも久しぶりだったから、
とても楽しい夜を過ごしました。

いい意味でリフレッシュできました。

2011年1月19日水曜日

太陽と月

太陽は絶対的な強さの象徴。対して月は、
自身では輝くことのない控え目でどこか抑制感のある存在。

何処にいても存在感がある太陽は万物に力を与え、
明瞭な世界にいざなうし、月は陽の光を浴び、
鏡として地に光を射す、
満ち欠けを繰り返し節を刻みながら。

人が作り出した灯がないぶん、
月の存在をしっかりと意識できるこの地が
僕を惹き付けたのだと感じさせる今夜の月である。

人と人は繋がっている。
月が鏡としての役割を担っているのは、

そういうことだろ。


2011年1月18日火曜日

月あかりと静寂

昨晩、友人宅へ行った帰り。

工房付近は国道から赤い橋を渡って入ると一転して雪深くなる。
山裾の丘陵地を見ながら谷あいに向かい道が伸びているが
夏場は青く稲が育ってる田園風景も今は雪原と化している。
空には月が音のない世界を照らし、
多紀連山と言われる山なみの稜線をくっきりと魅せている。

ふと車の窓から外を見ると、少し離れた雪原の中に山鹿が数頭。
おもわず車を止めて、エンジンを切る、
エンジンを切った瞬間に、なんともいえない静寂が世界を支配し
耳の鼓膜ではなく肌で音という振動を感じるような気がする。

見上げた月と群れをなして走り去る鹿、碧白く映し出された一面の雪景色が
あまりにも美しく、宇宙のなかに存在しているこの世界を感じることができる。

あたりまえに存在してる風景なのだろうけど、
おもわず誰かに伝えたくなるのは
なぜなのだろう。



2011年1月15日土曜日

シカゴより

今日、東京のギャラリー酉福の青山和平さんが
シカゴのギャラリーのEliasさんと篠山の工房へお越しいただきました。
昨年シカゴでの展覧会で酉福からの出品として、お二人にはお世話になりました。
エライアスさんにお会いするのは初めて。日本美術に深く興味を持ち、
やきものにも精通されています。
シカゴへの出品依頼作は「灰赫陶」でしたが、今日来られて、興味を持っていただいたのは「茶碗」。
僕の中にある対極にある作品に感じてもらえたのは、


僕の見る風景を凝縮した、小さな日本だったように思う。


2011年1月8日土曜日

新春展覧会

昨日今日、自分自身に気持ちを入れる意味を込めて展覧会を見に行きました。
昨日は大阪なんば高島屋で木村盛伸先生の作陶60年記念展。
僕の友人である木村展之氏の父上でもありますが、ここは陶芸家として、
やはり京都の伝統工芸を代表する、重鎮として、
久しぶりに展覧会を拝見することができて、うれしかったです。
僕たち、工芸の世界、とくに日本の伝統のなかに属している「やきもの」の
世界は世代の連携というものがあります。
今は少し希薄になった感じもしますが、
それはそれで大切なものでもあると感じます。
それが血統であっても、そうでなくても、
時代を継承していく義務があるはずです。
そうして日本の「やきもの」は時代を受け継がれて来たはずです。

今日、楽美術館へ当代の還暦記念展2を拝見してきました。
楽家伝統をある意味ひっくり返した当代の茶碗は
今や誰も追従を許さない域に達していると思います。
茶碗に関しては、現代は当代意外にはないと思う。
茶の湯の世界の「茶碗」という、日本文化固有の世界を叙情的に、
あるいは激昂で表現できる人は、他にはない。と僕は感じます。

僕も茶碗は好きで作りますが、
日本の「やきもの」に関わる以上、避けては通れないし、
いろいろ見て、聞いて、感じて、今思うことは、
「表、裏、内、外」、すべては「人の精神」に尽きるのかな、と。

そういう意味でも、今や情報が世界中を網羅する時代、
コンテンポナリーな「やきもの」より
トラディショナルな「YAKIMONO」が
これからの時代を世界へ駆け抜けていくと思うのだが、どうだろう。


2011年1月4日火曜日

雪の正月

正月は雪でした。
久しぶりの雪にこどもたちも喜び、スキーにそりあそび、
工房付近の土手などはスキー場に変身し
プライベートゲレンデと化していました。
かまくらまで作ったので、さぞかし雪を満喫したもよう。

さて、仕事の方はというと、ちょっと大きめの作品を手がけて
いるので、年末年始にそこそこまで仕上げておかないと
乾かないから、正月も地味に仕事をしていました。
なんとか昨日仕上げ、すこしづつ乾燥することに。

ま、そんなこんなであっという間に正月は過ぎていくことに
なり、今日4日にもなると、ぼちぼち通常感覚になりつつ
あります。

さあ、今年も年間スケジュールも決まっていることだし、
気合いをいれてがんばっていこう。


とあるおみくじでは大吉だったので
気分上々なのである。




2011年1月1日土曜日

あたらしい年


あたらしい年はじめます。

どうぞよろしくお願いいたします。